高見盛の懸賞金(続編)
     − 人気力士・ロボコップ改造計画
2004年3月21日

前回は、大相撲の人気者の高見盛が永谷園という格好なスポンサーを得、コマーシャル収入に加え、懸賞金でも効率的に稼いでいることを紹介した。また、往年の名横綱である柏戸と風貌と弱過ぎる点を除くと、非常に良く似ていることも紹介した。

ここで面白い1枚の写真をお見せしよう。テレビで目撃された方も多いと思われる。
高見盛が懸賞金を受け取る時に、手刀を下から上へ突き上げてしまい、懸賞金を土俵に落っことしてしまったのである。昨年11月、九州場所でのハプニングである。

懸賞金を落とした高見盛
懸賞金を落とした高見盛(平成16年九州場所)
ライブドアNEWSから(11月23日)

行司の木村孔一は、「近眼だからとはいえ、こんなのは行司歴50年で初めてだ」、とあきれ顔だったそうである。そう、高見盛は大変な近眼なのである。

ところで、力士が懸賞金を受け取る時には必ず手刀を切っている。
あれは、何の「おまじない」なのか?
知っておられる方も多いと思われるが、手刀で「心」という字を書いているのである。

従って、正しい手刀を切っていれば、「下から上へ突き上げてしまう」、ことは普通なら起こり得ない。どうやら、高見盛は相撲道を勘違いしているのかもしれない。

今回は、高見盛を柏戸や場合によってはあの双葉山に改造するという秘策を考えて見たい。
筆者が考えるヒントは、高見盛の弱点である強度の近視と、立ち合い前のパーフォマンスや手刀に見られる相撲道精神への勘違いである。


大相撲の制限時間とは

高見盛は制限時間一杯になると、あの独特のパフォーマンスを繰り広げ、自分に気合を入れて勝負に臨む。
ところで、大相撲の制限時間とは何なのか?また、どういった背景から生まれてきたのか?

実は、大相撲に制限時間が設けられたのは、昭和3年の春場所からである。
この場所から、NHKによるラジオ放送が開始され、放送時間内に全取組を終了させるため、幕内10分、十両5分、その他3分という制限時間が設けられた。

当然ではあるが、大相撲にはそれまでは制限時間という制度は無い。
また、当時の幕内力士10分という制限時間は、現在の4分に比べると異常に長い。
現在は制限時間が短いこともあって、制限時間を待って取組が開始されるケースが圧倒的に多い。

一方、制限時間が無い時代や制限時間が長い時代は、力士同士の気合が一致すれば何時でも立ち上がっていたのである。両力士は、仕切りを繰り返すなかで、徐々に気力を高め合い、一瞬の間合いで立ち上がっていたのである。

何時立ち上がるか分らないため、力士も観客も毎回の仕切りに全神経を集中する。
また、毎回の仕切りで、両力士は必ず両手をついているため、立ち合いは両手を突いた綺麗な立ち合いになっていた。

ところで、高見盛がこのような時代にいたらどうなるのか?
いつ立ち上がるか分らないのに、毎回、あの派手なパーフォーマンスを繰り返すのか?
制限時間は10分。毎回そんなことをしていたら、立ち上がる前に顔も胸もボロボロになってしまう。

それよりも、多分、親方や勝負検査役、あるいは多くの相撲ファンが、あのパーフォーマンスを許さないに違いない。大相撲の醍醐味は立ち合いの一瞬にあり、いつ立ち上がるか分らないなかに大相撲の本当の面白さがあったからである。

その真髄を示していたのが、制限時間が10分の時代が生んだ不世出の名横綱双葉山であった。
双葉山が初土俵を踏んだのは、昭和2年の春場所であるから、大相撲に制限時間が導入されるちょうど1年前である。


双葉山の立ち合い

双葉山は、幕内通算31場所、276勝68敗1分け、33休で、勝率は8割を越す。
前人未到の69連勝というとんでもない記録を残している。
また、年2場所という時代に、優勝回数12回、内全勝優勝8回を果たしている。

双葉山
双葉山
「双葉の里」ホームページから

双葉山は、身長179cm、体重128kg、戦前としてはかなりの大型力士であった。
得意は、右四つ、寄りで、奇しくも高見盛や柏戸と全く同じである。
また、写真のとおり、大変な美男力士でもあった。

一方、双葉山は、5歳の時に右目を吹き矢で傷つけられ、ほとんど失明状態であったらしい。
高見盛の近眼も相当ヒドイようであるが、右目が失明状態というのでは遠近感が無く、力士生命を落としかねないハンディキャップである。さらに、右手の小指も幼少の時に潰している。
2重のハンディを負っていたのである。

ところで、双葉山は強過ぎるため、仕切りでは相手は色々なかく乱戦法で挑んだそうである。
ところが、相手がどんな手を使おうが、双葉山は絶対に「待った」をしなかったので有名である。
インターネットで、双葉山の立ち合いを再現ビデオで観ることが出来る。

実にしなやかで、優美な、立ち合いである。

立ち合いの一瞬に全神経を集中し、何時でも立てる状態で仕切りを繰り返すことが、大相撲の真髄なのだと思う。
これを神の境地にまで昇華させたのが双葉山なのであろう。

その双葉山が、目標にしていたのが、「木鶏(もっけい):木彫りのニワトリ」、になることであった。
無心の境地で立ち合いに臨む、その精神力を「木鶏」になることで果たそうとしていた。
70連勝目を安藝ノ海に阻まれた時に、「我、未だ木鶏たりえず」、という電報を打ったというエピソードが残されている。


木鶏対ロボ・コップ

さて、話を高見盛に戻そう。
制限時間一杯になった時の高見盛のあの派手なパーフォマンスは、プロレスやK−1競技なら良いが、大相撲ではいただけない。
あれでは、木鶏とは全く逆で、絞め殺されようとするニワトリのようなものである。

高見盛は、先ず、毎回の仕切りに全精神を集中し、何時でも立ち上がる用意をすべきであろう。
立ち合い一瞬に無心の境地になるよう、むしろ精神を静めていくのである。

今年初場所の千秋楽の取組から調べて見ると、勝敗の6割は5秒以内に決まっている。
近眼でも、片目が失明状態でも、立ち合い一瞬を制することが出来れば、勝負に勝つことが出来るのである。

高見盛自身、今年の春場所では、立ち合い一瞬の踏み込みで相手を土俵外に突き飛ばした、素晴らしい土俵があった。

双葉山を見習い、ロボ・コップから「木鶏」に変身し、立ち合いの一瞬に磨きをかけたらどうか、というのが筆者のアイデアである。
ただし、ロボ・コップが、木彫りのニワトリに変身したら、間違い無く永谷園は離れていくだろう。


結論

高見盛の懸賞金の話が、高見盛の改造計画にまで話が飛んでしまった。
高見盛ファンの筆者は、実は大鵬よりは柏戸が好きで、双葉山の大ファンでもある。
双葉の実際の土俵姿を知っているわけではないが、双葉の本を読み漁ったものである。

双葉山−柏戸−高見盛と並べて見て、今昔の大きな差を感じ、素人として大胆な提言を行った。実は、柏鵬時代の立ち合い風景をビデオや映画で観てみると、なんともヒドイものである。両手をきちんと突かないばかりか、ほとんど中腰での突っかけばかりである。

立ち合いの綺麗さにかけては、高見盛は柏戸より優れているし、むしろ双葉山に近い。
この力士には、変なパーフォマンスよりは、真の強さで土俵をわかせて欲しいと願っている。

ところで、大相撲の懸賞金の本数は、経済のバロメーターだそうである。
最近の懸賞金の本数を見る限り、日本経済は「踊り場」を完全に脱し、着実な成長軌道に乗ったと見て良さそうである。


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