街道別の国分寺一覧(6)

山陰道編(8ヶ寺)

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丹波国分寺 丹後国分寺 但馬国分寺 因幡国分寺
伯耆国分寺 出雲国分寺 岩見国分寺 隠岐国分寺

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 丹波国分寺 京都府亀岡市千歳町国分
 
 浄土宗                  現存・僧跡

  山陰本線亀岡駅を北へ3qの位置にあり、南北を山に挟まれた広い田園地帯の中に、樹木で覆われた古寺が丹波国分寺だった。
 山門の手前には崩れかけた土塀に草が生え、東に配した塔跡には、17 個すべての塔礎石が残され苔むしており、歴史を語る礎石群にしばらく栄枯盛衰の風情へと思いを馳せていた。 尼寺跡らしき所は、樹木が繁茂し立ち入れる状態にはなかった。

 丹後国分寺 京都府宮津市
 
 高野山真言宗         現存・僧跡・資館

 およそ数ある国分寺跡からの眺望では、丹後にまさる絶景は他にはなかろう。 むしろ逆に考えてみると、天橋立の松越しから見る往時の国分寺の姿は、海の青さと松の緑、そして堂塔の朱色がひときわ彩りを添えていたと思うと心が躍る。
 僧寺跡は東の金堂跡と西塔跡は礎石が残っていて、伽藍は整備されていた。現存寺が東側、、資料館は西側の後ろにあって保存はよい。

 但馬国分寺 兵庫県日高町国分寺
  浄土宗                       現存

  山陰本線江原駅の北400b周辺にあたる。現存寺は僧寺跡北端に位置しており、画像の薬師堂はおそらく北方建物西端あたりになると思われる。
 僧寺跡の伽藍全体に私有地が広がっているため、史跡としての確保は難しい。伽藍配置は、西塔を配した国分寺式と判明しているようで、街の所々に伽藍を示す立て札があったことが、せめても、落胆した気持ちを抑えてくれた。

 因幡国分寺 鳥取県国府町    
 黄檗宗                  現存・資館

 鳥取市の東となり国府町に、国庁跡が史跡公園として整備され、因幡万葉歴史館が建てられていた。この万葉歴史館は、因幡に大伴家持が国守として派遣されていたことによる。
 僧寺の伽藍跡は、ほぼ寺域のかたちで集落となって田んぼの中にあり、そして集落の中に小さな現存寺があった。寺の庭には、周囲から集められた礎石や五輪の塔が並べられてあった。

 伯耆国分寺 鳥取県倉吉市国分寺
 曹洞宗               現存・僧跡・資館

 山陰本線倉吉駅から西に8qのところ。現存寺は国府川の袂にあるが、国庁、僧寺跡、尼寺跡(?)等はもう少し西の台地にある。
 僧寺跡は史跡公園として整備され、北側に「法華寺畑」と呼ばれる地の建物跡も遺跡公園になっていた。さらに西300bに山上憶良が国守として派遣された国庁跡があり、畑一帯の北側に新羅軍侵略に備えた四王寺山が遠望できた。

 出雲国分寺 島根県松江市
                       僧跡・資館

 山陰道東出雲ICから南東2q。一帯は田園地帯で、国庁跡、八雲風土記の丘公園と歴史資料館、また周囲には多くの古墳が点在し、出雲のまほろばをそのまま田園で包んだ風景だ。
 僧寺跡は緩やかな南斜面にあり、西回廊が民家になっているが礎石はほぼ完全に残され、堂塔の基壇すべてが復元されていた。尼寺跡は北東300bを探したが発見できなかった。

 石見国分寺 島根県浜田市
                           尼跡

 山陰本線下府駅北東3q で鉄道と国道が並行し、そこから海岸側の細い旧道脇の上にある。
 創建当時の僧寺跡には、金蔵寺という別の寺が建っていた。また画像の尼寺跡には、現存国分寺があったが、ご覧のとおり廃寺で、まさに崩壊の途を辿っている。おそらく、多くの国分寺が平安末期からこんな感じで衰退したであろう。それにしても、あまりにも寂しい…。

  隠岐国分寺 島根県隠岐郡西郷町
 東寺真言宗            現存・僧跡・尼跡

 西郷港から八尾川を4qのぼる。創建期の礎石は皆無だが、江戸期の礎石は一部残る。隠岐騒動に端を発した過激な廃仏毀釈により、明治初期に破壊し尽くされ現存寺は昭和の再建。
 尼寺跡は東に約500bの有木
にある。発掘調査から、掘建て柱の遺構は伯耆の跡と符合するとも思える。歴史の島にしては、廃仏毀釈と後醍醐天皇御在所論争は今も火ダネが残る感じ。