街道の国分寺一覧(8)

西海道編(11ヶ寺)

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筑前国分寺 筑後国分寺 豊前国分寺 豊後国分寺
肥前国分寺 肥後国分寺 日向国分寺 大隅国分寺
 薩摩国分寺 壱岐国分寺 対馬国分寺 
     

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 筑前国分寺 福岡県太宰府町国分
   高野山真言宗      現存・僧跡・尼跡・資館

  太宰府は筑前の国庁に留まらず、九州全体の政治の中心であった。 その政庁跡である国府は、 都府楼とも呼ばれ寺跡の南東1qほどにある。
  現存寺は金堂跡上に建てられており、 写真手前右画像外に 七重塔の礎石がある。 現存寺裏手には講堂跡があり、回廊内に塔を配することから、大官大寺式であった。 伽藍の東半分が しっかりと保存され、 近くには文化ふれあい館もあった。

 筑後国分寺  佐賀県久留米市国分
 
 天台宗                 現存・僧跡

 久大本線南久留米駅から南東に2q。日吉神社境内に講堂跡の礎石が1つあった。塔跡は神社の南側に通りを隔てて、跡を表示する柱と小さな花壇があるのみで、周囲は住宅地。尼寺は僧寺跡の200b離れた住宅地のようだが、なぜか「国分寺跡」の石碑があった。
 現存寺は、僧寺跡からかなり北に離れた、筑後川を渡った陣ノ内にある。

 豊前国分寺 福岡県京都郡豊津町国分
   高野山真言宗     現存・僧跡・尼跡・資館

  日豊本線新田原南西4q。 周囲は畑と田んぼで集落と森に囲まれ、いにしえの姿を映し出すにふさわしい光景で、その集落に僧寺と尼寺跡がある。
 僧寺金堂跡上に本堂が建ち、東側塔跡を避け西側に三重塔を再建した。講堂跡は礎石の配置が不明で復元できないため、本堂後ろに位置のみ確保した。 典型的国分寺の伽藍配置。歴史館では、退職日を迎えた館長さんの最後の説明を聞いた。

 豊後国分寺 大分県大分市国分
 天台宗         現存・僧跡・資館

 久大本線豊後国分駅前に、資料館・僧寺跡等すべてあり、まるで見学者のための駅だ。
 僧寺跡は、小さな現存寺を含め広大な史跡公園になっている。一部民家は残るが、九州では薩摩や筑前僧寺跡とともに保存の良さで肩を並べる。伽藍配置は、西塔を配する大官大寺式となっているが、中門から金堂を結ぶ回廊がきわめて大きいのが特徴で、全国僧寺では最大か。

 肥前国分寺 佐賀県佐賀郡大和町尼寺
                   国庁跡と地名のみ

 長崎道の佐賀大和ICを出るとすぐ西に、肥前国庁跡がある。南東に600b行くと町名の“尼寺”はあるが尼寺跡は見つからなかった。
 僧寺跡には廃寺(写真)思われる建物があった。説明看板には、廃屋は金堂跡に位置し典型的な国分寺伽藍配置だとある。しかし往時の大伽藍も、民家と私有地によりズタズタになって保存は悪く、暗い気持ちになった。

 肥後国分寺 熊本県熊本市出水町
 
曹洞宗               現存

 加藤清正の築城以来 400年を誇る城下町には、さらに800年を遡る歴史はもはや見る影はない。水前寺公園西側に国府町の名が残り、その近くには現存寺があった。
 そこから南東に100b程度離れた小さな熊野神社には、大きな塔心礎石が置かれてあった。発掘調査は不可能に近いが、ことによると法隆寺型
(回廊の中に東金堂、西塔)かもしれない。

 日向国分寺 宮崎県西都市大字三宅国分
     
                 現存・僧跡

 西都市役所から南西に1q。史跡名所の西都原古墳群は、ゴルフ場のように整備されているが、国分寺は残念ながら手入れが不十分の状態だ。僧寺跡に「五智館」が建ち、木造の五智如来は見応えがある。廃仏毀釈のさい仏像を一庶民が家に隠し守ったことに心打たれた。
 僧寺跡地は多少の土地が確保されており、本格的な発掘調査は今後に期待するほかない。

 大隅国分寺 鹿児島県国分市国分寺中央
                        僧跡
・資館

 国分駅から南東2q。青年会議所の駐車場に国分寺跡を示す石碑と石造多層塔、石造仁王像があるだけ。伽藍配置はおろか位置すら特定できないが、若干の創建瓦が出土している。
 発掘・調査が困難な理由は、1604年に島津義久が旧来の町並を再造成したため遺構が覆されたことと、明治初期の廃仏毀釈が旧薩摩藩内で徹底されので資料が失われたためという。

" 薩摩国分寺 鹿児島県川内市大小路町
                     
  僧跡・資館

 鹿児島本線北川内駅を東に1500m。南斜面の小高い僧寺跡から旧国府の川内市内が見える。
 伽藍は史跡公園として保存されたなかに、めずらしい川原寺伽藍の復原があり、九州の僧寺跡としては立派なもの。北西方向の菅原神社手前に「国分寺址」碑と石造多層塔が残されている。
 尼寺の存在は、資料により認められているもののその場所は特定できていない。

 壱岐国分寺  長崎県壱岐郡芦辺町中野郷
   
臨済宗大徳寺派            現存・僧跡

  壱岐島の芦辺港より西に3.5q。僧寺跡と現存寺のみで、嶋国は尼寺は存在せず、僧寺伽藍もそれほど大きくはなかった。
 また二個所の歴史資料館には、国分寺に関する展示はなく、むしろ朝鮮半島から度重なる来襲の歴史に、国の要害として重視されていたことがわかった。現存寺のご住職が留守で、縁起等の話を聞けず船の時間がきて島を離れた。

 対馬国分寺  長崎県下県郡厳原天道茂
  
曹洞宗                 現存・資館

 博多港より120q、厳原港から北へ1qの街中に現存寺がある。創建の僧寺跡地のその上に金石城が建ち、その城も址地となりそこに中学校が建てられ、それも移転し史跡公園となった。
 国分寺は城の増築で街内の日吉に移り、そして現在の位置に移った。平地の少ない土地を、有効活用した結果だ。国府跡は「町役場の位置だ」と言われて妙に納得してしまった。