
現存寺は僧寺跡の真上に建てられており、しかも創建時の伽藍にかなり関連した位置にあると思われていた。おりしも、現金堂の平成大修理に伴って発掘調査を実施したところ、まさに現金堂の位置に創建期の金堂跡があることがわかった。
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判明している伽藍配置
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古山陽道に面して建つ現存国分寺の土塀
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中門跡と塔跡の間が近すぎて他に例がないこともあり、私も現存寺伽藍との一致の可能性は薄いと考えていた。
ところが今回の調査結果から、回廊遺構は確認されてはいないものの、東塔を配する国分寺伽藍である可能性が大きくなった。 画像は、古山陽道に面した現存寺の土塀である。これだけでも創建期の僧寺を思い起こさせる雰囲気を持っている。そう感じたので撮ってみた。画像左手の大木の位置が山門になっている。
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県指定の文化財となっている仁王門
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創建当時の金堂の位置が、現存金堂の位置そのままであるとするならば、やはり画像の仁王門の手前に創建当時の南門があったであろうと考えられている。 画像の仁王門は、1596(文禄5)年に毛利輝元が再建したものである。であるならば400年以上も経過したものだ。
入り口の両脇には、室町時代の仁王像が安置されており、門・像ともに県指定の文化財に指定されている。
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塔跡と思われる位置から金堂を撮す
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画像は、平成の大修理も終盤になって、久々に全容をあらわした金堂である。
わざわざ東斜めから撮ったのは、創建時代の塔跡と思われる位置から撮したからで、おそらく画像左の資材置き場にかかるあたりに創建時代の中門があったのだろうか。
中門から金堂(?)にかかる回廊の遺構は発見されてはないが、あるとしたら、塔はその外に位置する。すると、金堂は回廊に覆われて見えないことになる。 |

撮影がヘタで傾いてしまったが重要文化財となる金堂
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現在の金堂は、二層入母屋造りになっており、1779(安永8)年に、毛利重就によって再建されたものであり、国の重要文化財に指定されている。 平成の大修理を終えた金堂には、重要文化財となる本尊薬師如来をはじめ、50余体の仏像を安置し、仏像の世界観を展開するというのだから、曼陀羅の世界のことをさしているのだろうか…。
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もし講堂があったとするならば
この二つの建物の位置かもしれない
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発掘調査で確認されたわけでもないのだが、もしも講堂があるとするならばこの位置かもしれないと、東南方向から撮ってみた。 その位置にあるものは、現存寺の庫裏(くり)があって、画像では並んだ二つの建物が写されている。この写されている範囲がすっぽり入るほどの大きさではなかろうか。ただし、講堂の遺構が見つかったわけではないのだが。
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現存寺のホームページ
http://www5.ocn.ne.jp/~suoukoku/index.html
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現存寺の寺号は浄瑠璃山国分寺と号し、宗旨は真言宗の別格本山となっている。 |